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この節では、Pratt が言及する残り2つの教育の視点である養育と社会変革について簡単に論じることにします。
3.7.1 養育的視点
教育についての養育的な視点を理解するには、親の役割から考えてみるのが最適でしょう。Pratt (1998) は以下のように述べています。
私たちは「うまくいっている」親が子どもに対して理解し共感することを期待する。そうすれば、どんなに難しいことであっても、心のこもった思いやりと愛情のある指導をしてくれるだろう。養育的な視点を持つ教育者は、親の場合とは異なる問題について、様々な文脈で、そして様々な年齢層に対する教育に取り組むものである。しかしその根底にある特性や関心事は親の場合と同じである。教わる内容をどれくらい身に付けることができたかよりも、学習者の効力感や自尊心に関わる問題こそが、学習の成功を測る究極の基準となるのである。
ここで強調されていることは、教員は学習者の興味関心に焦点を当て、学習者が学ぶ方法を重要視しつつ、学習している時の発言や考えに対して注意深く耳を傾け、「経験の共感的承認」という適切な形で支援を与えることです。このような考え方の背景の一部には、人は非常に幼い時から自律的に物事を学習しているという観察があります。ですから学習者の持つ「自然な学習傾向」を抑制するのではなく、奨励し、学習意欲の分析から決定される適切な学習課題へと導くことができる環境を作り出すことが大切なのです。
ニューヨーク州立大学のエンパイア・ステイト・カレッジでは成人教育におけるメンター制 を導入していますが、これは本節で述べたような養育的視点を非常に細かいところまで取り込んだものとなっています。
3.7.2 社会変革の視点
Pratt (1998, p.173) は次のように述べています。
社会変革の視点を持つ教員は、より良い社会を作ることに関心があり、自らが行う教育はその目的に貢献するものであると捉えている。この考え方の独自性は、明確な理想、すなわち、より良い社会秩序という考え方に繋がる諸原理に基づいている。社会変革の視点を持つ教員たちは、単一の方法で教えるわけでもなければ、一般的な知識について固有の視点を持っているわけでもない。(中略)これらの要因は、全て個人としての行動上の理想に基づいて決定づけられている。
社会には変化が必要であり、社会変革者はこの変化を起こす方法を知っているという捉え方は、ある意味では、認識論的な立場としての教育理論ではないと言えるでしょう。
3.7.3 歴史、そして結合主義との関連
養育的視点にも、そして社会変革の視点にも、同様に長い歴史があり、これまで以下のように述べられています。
- Jean-Jacques Rousseau (1762) : 「子どもに生まれつき備わっている能力であるように思われる、自ら発見しようとする成長の過程と、可能な限り歩調を合わせながら教育は行われるべきである。」 (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
- Malcolm Knowles (1984) : 「人は成長するにつれて、自己像が依存的な人格を持つ人間から、自己決定のできる人間へと変化していく。」
- Paulo Freire (2004) : 「教育がうまくいくのは、人間は学習を通して自らを作り、作り直すことができることを知るからである。そして知ることができる存在として、自分自身への責任を取るのである。自分が何かを知っていることを知り、そして何かを知らないことを知るからである。」
- Ivan Illich (1971) (教育の制度化を批判して):「新しい教育が現在探し求めているような、一部に集中させようとする行為は完全に間違っている。むしろ制度的に全く反対の方向、すなわち個々人の学習の機会を増やすことができる方法を探し求めなければならない。そうすることで一人一人の暮らしの中の一瞬一瞬が、学び合い、学びを共有し合い、世話し合うことに変わっていくのである。」
教育を養育的・社会変革的な視点からみることは重要です。なぜなら、それらは結合主義についての信念あるいは仮定を映し出しているからです。事実、Illich は早くも1971年の段階で先進的な技術による「学習の網」の利用を支持する、驚くべき発言をしています。
仲間同士を繋げるネットワークの働きは単純なものになるであろう。利用者は名前とアドレスで自らを特定し、どのような活動の仲間を求めているか記述する。コンピュータは同様の内容を記述している人の名前とアドレスを送り返す。このような単純で便利なものが、今まで世間一般で価値を持つ活動に大規模に利用されることがなかったのは驚くべきことである。
このような状況は今日、確かに存在しています。学習者は情報や知識にアクセスするために必ずしも教育機関を経由する必要はありません。ますます多くの情報や知識がインターネットを通して入手できるようになっているからです。MOOC は共通の興味関心を見つけるのに役に立ちます。とりわけ結合主義者による MOOC は、共通の興味関心のネットワークや、自発的な学習のための環境を提供することを目的としています。デジタル時代は学習に必要な技術的なインフラや支援を提供してくれているのです。
3.7.4 学習者と教員の役割
教育に関する全ての視点の中で、養育モデルと社会変革モデルは、学習者中心のモデルとして一二を争うものです。これらのモデルは人間の性質について非常に楽観的な考え方に基づいています。つまり、人間は必要なものを探し出して学ぶものであり、似たような興味や関心を持っている人の中から献身的に面倒を見てくれる教育者を見つけ出し、個々人は自らが学びたいことを見つけ、しかもそれを最後までやり抜く能力を持っているという考え方です。このような考え方は抜本的な変革を求める教育の視点であるとも言えます。それは公教育や私教育がもつ政治的、支配的側面からの脱却を求めているからです。
養育モデルと社会変革モデルのそれぞれの視点において、学習を成功させるために教員が果たす中心的な役割に関する見解の違いがあります。Pratt にとっては学習を育むことが教員の中心的な役割であると考えます。Illich や Freire などは、職業的に訓練された教員は、どちらかと言えば個々の学習者にではなく、むしろ国家のために働くようになる傾向があると考えます。また、これらの教育モデルを支持する人々は、学習者にとって必要な支援を提供するのは、ボランティアの指導者や、ある理想や社会的目標に基づいて組織される社会集団であると考えています。
3.7.5 2つの手法の長所と短所
養育モデルと社会変革モデルによる教育には当然ながら短所もあります。それは次のようなものです。
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養育的アプローチにおいて、教員は非常に献身的で無私な取り組みを行い、学習者の要求やニーズを最優先しなくてはなりません。一方、教員は教育内容についての専門家であるにも関わらず、知識を伝達したり共有したりすることを、学習者が「受け入れる用意できた状態」(レディネス)になるまで控えておかなくてはならないことも多いのです。結果として、教育内容の専門家としてのアイデンティティーや必要性が大きく否定されてしまうことにもなりかねません。
- Pratt は「教育内容がないがしろにされているように見えるところもありますが、養育的な教育者に教えられた子供たちは、カリキュラムによって決められる教授法で教わる子供たちと、ほぼ同じ速さでその内容を身につけている。」と主張します。しかしこれは Pratt 自身がこのように教えてきた個人的な経験に基づくものであり、この主張を支持する実証的な証拠はありません。
- その他の教育モデルと同様、養育的視点による教育は指導者の非常に強い信念体系によって進められるものです。したがって、異なる信念を持つ指導者、保護者、学習者と共有できるとは限りません。
- 養育モデルは全ての教育モデルの中で、最も労力がかかるものであると言えます。教員はそれぞれの学習者やそのニーズを深く理解することを求められますし、学習者がそれぞれ異なっていますので、異なる扱いをしなければならないでしょう。ですから教員は、学習者のニーズ、学習へのレディネス、学習をお互いに支えあう環境や場面を作り出すために、かなり多くの時間を割かなくてはなりません。
- 学習者が個人的に学習したいと思っているものと、デジタル時代の社会が求めているものとの間に齟齬が生じることは十分あり得ます。献身的な教員なら学習者がこのような齟齬を乗り越えられるよう促すことができるでしょう。しかし教員が指導できない状態では、学習者は自分と似たような考えを持つ他の学習者との話に終始するだけで、学習を先に進めることはできないでしょう。学問を教えることを弁論術の訓練だと考えたり、世界を違った見方で捉えるよう要求したりする教員もいるかもしれません。
- 社会変革モデルを教育に取り入れる場合、学習者と教員が似たような信念を持っていなければなりません。それゆえに自己中心的で外部からの意見を受けつけない「内輪のコミュニティ」のような独断的態度に容易に陥ってしまうかもしれません。
とは言え、社会変革モデルも養育モデルも、デジタル時代に重要な以下のような側面が含まれています。
- 養育モデル、社会変革モデルとも、特に成人学習者に対しては、うまく機能すると考えられています。また、養育モデルは幼い子どもにも効果的です。
- 養育モデルは Google のような企業におけるインフォーマルな研修でも採用されています。(例としては、Tang, 2012 を参照)
- 結合主義による MOOCs は、養育的な手法とネットワーク的なつながりを作ることを強く反映しており、自己効力感と社会変革の達成を可能にしています。
- 養育的、社会変革的な視点は、いずれも学習者が既に十分に教育を受けていたり、十分な予備知識や概念発達を達成している場合に効果的なようです。
- 教育機関や国家の官僚組織のニーズよりも個人のニーズに重点を置くことで、思考と学習を支配から解放することができます。そして複雑で多様な状況の中での創造的な思考や、問題解決、知識の応用において、「良い」ものと「素晴らしい」ものを区別することができます。
アクティビティー3.7 養育、社会変革、結合主義
- 養育的アプローチと社会変革的アプローチのいずれか、あるいは両方で教えた経験はありますか。もしそうであれば、本節で示したそれぞれの要素が持つ長所と短所の分析について、あなたと考えが一致しますか。
- 結合主義は、養育的、社会変革的モデルの教育のいずれかを現代的に反映したものだと思いますか。それとも結合主義ははっきりと区別される特有の教育方法でしょうか。もしそうであれば本書で取り上げている他の教育方法とは何が異なるのでしょうか。
参考文献
Freire, P. (2004). Pedagogy of Indignation. Boulder CO: Paradigm
Illich, I. (1971) Deschooling Society, (accessed 9 July 2019)
Knowles, M. (1984) Andragogy in Action. Applying modern principles of adult education, San Francisco: Jossey Bass
Pratt, D. (1998) Five Perspectives on Teaching in Adult and Higher Education Malabar FL: Krieger Publishing Company
Rousseau, J.-J. (1762) Émile, ou de l’Éducation (Trans. Allan Bloom. New York: Basic Books, 1979)
Tan, C.-M. (2012) Search Inside Yourself New York: Harper Collins