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学校制度は、それが作られた時代を反映するものです。フランシス・フクヤマは、政治的発展と政治的衰退に関する重要な著作 (Fukuyama, 2011; 2014) の中で、国家に必要不可欠な機能を提供する組織は、往々にして、時とともにもともとの構造に完全に固まってしまい、外的環境の変化に適応できなくなってしまうと指摘しています。したがって、現代の教育制度の起源については、特に検討する必要があると言えます。なぜなら現在の教育と学習は、かなり昔に作られた制度の構造に強く影響を受けているのです。ですから私たちの伝統的なキャンパス中心のモデルによる教育が、デジタル時代にどの程度まで適合するかについて、検討しておく必要があるのです。
大規模な都会の学校、短大、大学は、年齢による階層化、構成する学習者集団、規定された単位時間によって組織化されるものですが、それは産業社会にとって非常に都合が良いものでした。事実、私たちは今なお教育設計の工場モデルと表現してもよい優れた仕組みを持ち、今でも少なからず私たちにとっては基本的な設計モデルとなっています。
設計モデルの中には伝統や慣習の中に埋め込まれてしまっているものもあります。それはまるで私たちが水の中の魚のようである、つまり私たちが生きて呼吸をしている環境であることをただ受け入れるだけでよい状態になっているわけです。教室モデルはその良い例の一つでしょう。教室を中心としたモデルでは、学習者はクラスというグループに編成され、ある期間(1学期や1セメスター)にわたって、同じ場所で、1日にある回数、ある長さの時間、定期的に集まるのです。
このような設計は150年以上も前に決められたものです。そして19世紀の社会的、経済的、政治的文脈の中に埋め込まれました。この文脈に含まれたのは以下のものでした。
- 社会の産業化によって、工場や大量生産といった仕事と労働を組織化するための「モデル」を提供することとなったこと。
- 田舎から都市部への人の移動と、都市部での仕事やコミュニティー、それに伴う人口密度の増加により、ますます大きな学校ができたこと。
- 産業経営者のニーズを満たすための大衆教育への移行が生じたこと、そして行政、医療保健、教育などの国営事業がいっそう広く複合的な範囲に渡るようになったこと。
- 選挙権が与えられたこと、そして有権者がより良い教育を受ける必要が生じたこと。
- 時が経つにつれて、さらなる平等が求められた結果、万人が教育を受けられるようになったこと。
150年の期間にわたって、私たちの社会はゆっくりと変化をしてきました。上記のような要因や条件のうちの多くは、もはや存在していません。一方で、今なお残存しているものもありますが、過去の時代よりも目立ってはいません。現在でも工場や大規模産業はありますが、小規模な会社も多くあり、かつてよりも大きな社会的、地理的な流動性もあります。そして何よりも仕事と教育の両方を様々な形でうまく進めることができる新しいテクノロジーが大きな発展を遂げました。
以上のことから、教室設計モデルが融通の効かないものであるなどと言うつもりはありません。このような全体的、組織的な枠組みの中で、教員は長い間、多種多様な教授法を採用してきました。しかし、とりわけ私たちが所属する学校組織の構造は、私たちがどのように教えるかに強い影響を与えます。ですから教室モデルを中心に作られている教授法のうち、どれが今日の社会にふさわしいと言えるのかを検討しなければなりません。また、これはさらに難しいことなのですが、今日のニーズにより良く応えられるよう、新しい学校組織を作ったり、学校組織の構造を変えたりすることができるのかどうかも検討する必要があるのです。
参考文献
Fukuyama, F. (2011) The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution New York: Farrar Strauss and Giroux
Fukuyama, F. (2014) Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalisation of Democracy New York: Farrar Strauss and Giroux