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常時接続とソーシャル・メディアの時代には、蔦の絡まる前世紀的なコンクリート造の壁は、より軽く、透明性のある、しなやかなものへと変わるべき時を迎えている。(Anya Kamenetz, 2010)
本書は大学だけではなく、短大その他の学校の教員たちも読者対象としているのですが、ここでは特にデジタル時代が大学にどのような影響を与えたかについて見ておきましょう。名門大学で素晴らしい学位を獲得した者からでさえ言われることですが、一般的には大学という所は世間から外れているものであり、学問の自由という言葉は実際のところ気楽な地位にある教授を守るためのもので、いつまでも変わる必要性のないものであると。そして学界全体が中世に取り残されているようなものだ、などと言われています。言い換えれば、大学は過去の遺物であり、何か新しいものに取り替えなければならないものだというのです。しかし大学は過去800年以上にわたって存在しており、将来も重要であり続けるだろうと考えることには理由があります。そもそも大学というものは、あえて外からの圧力に抵抗する存在として作られているのです。大学はこのように捉えています。王や教皇、政府や企業、世の移り変わりについて、外からの圧力がなければ制度自体を根本的に変えることができなかったと。大学は、独立性、自由、社会への貢献を誇りとしています。では、こうした中核となる価値について、ごく簡単ではありますが見ていきましょう。万が一にも中核となる価値を本当に脅かすような変化が起こったら、大学の教授たちも講師たちも強く抵抗するでしょうから。
大学は知識を創造し、評価し、維持し、普及させるということを根本としています。社会におけるこのような役割は、現在ではかつてないほどに重要になっています。しかし大学がこのような役割をきちんと果たすためには、ある条件が必要です。まず、広く自治が認められることが必要です。新しい知識がもつ潜在的な価値は、とりわけ事前に言い当てることが難しいものです。新たな研究というものは、すぐに短期的な利益が出ることが明らかではなかったり、何も成果が出ないかもしれないものですが、経済や社会に大きな損失を及ぼさないように、そのような研究を奨励することによって、大学は未来に向けた「賭け」を安全に行う方法を提供しているのです。また、政府や産業界のように外側にある強い力が、根拠のある事実や倫理上の原則、社会の共通善に反するときに、大学が持つ重要な役割は、そのような強権的な地位に抗う能力を持っていることです。
おそらくそれよりもはるかに重要なのは、大学には学術的な知識と日常的な知識を区別する様々な原則が存在していることです。前者は抽象と具体の間を橋渡しする能力である論理や理性の法則で、後者は現象的な証拠や経験的な評価に基づく知識(例えば Laurillard, 2001)です。大学では個人や会社が日常の中でできることよりも高い思考レベルで活動することが期待されているのです。
大学を維持する助けとなってきた中核的な価値の一つには、学問の自由があります。厄介な問題を扱い、現状に疑義を呈し、あるいは政府や企業の主張と矛盾する証拠を提示しようとする学者たちは、そのような見解を発表することによって大学を解雇されたり、大学から懲罰を受けたりすることがないよう保護されています。学問の自由があることで、自由な社会を維持できるのです。その一方で、学問の自由とは学者が何を研究するのかを選ぶ自由をもつということでもあります。そして本書にとって重要なのは、知識をどのように広めていくのが最適であるかを自由に選ぶことができるということでもあります。したがって大学における教育は、このような学問の自由や学問の自治という観念に結びついているのです。たしかにテニュア(終身在職権)のような自治を守るための条件の中には、見直しへの圧力が高まっているものもあるのですが。
この点を、ただ1つだけの理由のために主張しておこうと思います。もしも大学が、外からの圧力の変化に合わせて変革をしようとするならば、その変革は大学の内部から、とりわけ教授や講師自身から生じたものでなければなりません。変革の必要性を見極める責任を負い、変革を自らのものとしていこうという姿勢こそ、職能集団としての学部なのです。政府なり社会全体なりが、大学の外から、とりわけ学問の自由という大学の中核的な価値を脅かすような形で変革を押し付けようとするのであれば、社会の中で独自の価値ある存在としてきた大学の本質を破壊してしまう危険、そして社会全体の中で、大学をより価値あるものに変化させていく機会を失わせる致命的な危険があります。しかし本書では変革の道を選ぶことが、学習者たちに利益をもたらすだけでなく、教員たち自身にとっても、仕事をやりくりし、教育を支えていくために必要以上の魅力ある素材を提供する最善の道であることについて、多くの根拠を示していこうと思います。
各種学校や短大は、大学とは幾分違った地位にあります。大学の場合に比べて、当局なり政府のような外部的な組織からの力によって変革を押し付けることは、非常に簡単とまでは言えませんが、比較的簡単です。しかしながら、変革のマネジメントに関する調査研究が明らかにしている通り(例えば Weiner, 2009 参照)、変革を経験する者がその必要性を理解し、自ら変革を希望したときに、より一貫性のある深いものになります。したがって、各種学校も、短大も、大学も、同じ挑戦に取り組んでいると言えます。それは組織の統一性を維持しつつ変革を進めるにはどのような方法があるか、そして何を受け入れるかという挑戦です。
アクティビティー1.4 変わるものと継続するもの
次のような問いについて、他の読者と議論したり、自分の答えを他の読者の答えと比べたりしたくなったかも知れません。
- 今日では大学は重要性を失っていると考えますか。もしそうだとすれば、デジタル時代に必要とされる知識とスキルを学習者に教育するために、どのような代替組織があるでしょうか。
- 大学の中核となる価値について、どのような見解を持っていますか。それはここで掲げたものとどう違うでしょうか。
- 各種学校、短大、大学は、教育の仕方を変える必要があると思いますか。もしそうだとすれば、それはなぜで、どのように変えるべきでしょうか。そしてそれはどのようにすれば学問の自由などの教育機関の中核的価値と衝突せず、より良く実現できるでしょうか。
これらの問いには正しい答えも誤った答えもありません。しかし本章全体を読んだ後、自分の回答を見直したくなるかもしれません。
参考文献
Kamenetz, A. (2010) DIY U: Edupunks, Edupreneurs, and the Coming Transformation of Higher Education White River Junction VT: Chelsea Green
Laurillard, D. (2001) Rethinking University Teaching: A Conversational Framework for the Effective Use of Learning Technologies New York/London: Routledge
Weiner, B. (2009) A theory of organizational readiness for change Implementation Science, Vol. 4, No. 67